冬でも暖かい南房総でワインを作ろうなんて馬鹿なことを考えるよ、とみんなに言われる。其れに醸造免許は個人では絶対取れないと、親しくしている造り酒屋をお上さんに言われている。 何でそんな馬鹿なことを始めたのか、仔細は以下のとおりである。 つまらないけど少しの間付き合っていただきたい。
上総屋は農家の次男坊である。 農家の次男坊は元来好き勝手に生きていけと家を追い出されるのが決まりである。 ところが、当方は運良く、明治末期にブラジルへ移民しようと思った7人兄弟の末っ子を親に持ったことが幸いして、高校を出たらアメリカへ留学しろと言ってくれた。 親父はブラジル移民を決意したが、親兄弟に反対され実現できなかった。 その悔しさを私に託したのかもしれない。
さらに、私の祖父は兵庫県丹波笹山で名杜氏としてかなり知られた人物だったようだ。 夏は田畑を耕し、冬は灘へ出て酒を造っていたのだろう。 祖父の家の庭には今も大きな池があって、その中央にある小さな島に3メートルもあろうかと思われる石碑が立っている。 「酒匠、杜氏 脇田 萬右衛門の碑」 と刻まれている。 何でも弟子が建立したものだそうだ。 当方のペンネーム「上総屋萬右衛門」はここからいただいた。
我が家では農家の苦しい生活であっても酒が耐えたことは無かった。 田舎から送ってくるわけではないが、親父も杜氏をしていたことがあり、どぶろくを造っていた。 当方も成人し、当然酒を飲むことも覚えた。 留学中はビールくらいしか飲まなかったが、帰国してからはやはり血は争えず日本酒、ウイスキー、焼酎、何でも飲んでいる。 たまたま会社の上司にワインキチガイが居たのと、ドイツの会社と取引していたので、自然にワインに接する機会も多かった。 相当高いフランスワインも飲んだ経験がある。 といっても、名前も忘れたし、味も忘れた。 サンテミリオンが私が飲んだ最高額のワインだろう。 ロマネコンテをロンドンの空港でさがしたら、無税でも一本25万円していたのを覚えている。 まあ、おいしいワインであるだろうが 当方には「猫に小判」を地で行くようなものだ。
2004年1月2日、3年の短いアメリカ勤務から帰国した。 丁度帰国した1月末で還暦を迎えた。 会社の方は第一線を退いて、新しい会社を興して何かと忙しくしている。 まあ、還暦を過ぎたのだから、 以前ほど企業戦士である必要は無くなった。 多少時間に余裕が出来たので、家庭菜園でもやってみようかと実家の姉に畑を貸しくれと申し込んだ。 いくら小さいと言っても農家だった畑を、今は義姉が一人で切り盛りしている。 兄は他界して、息子と二人で住んでいるが、何せ広すぎて草引きだけで音を上げている。 わたりに船とばかりにいくらでも使えと言う。 それではと畑を一枚借りてナスやきゅうりを植えてみた。 びっくりしたことに、(農家出身がこんなことでびっくりしてはいけないが) 3坪ほど植えれば、我が家では食べきれない程の収穫がある。 畑一枚耕したら大変なことになる。 どうしようかと思案に暮れていたら、ひょっと思い出したのが、カリフォルニア中南部のサンタバーバラに広がるワイン畑である。
サンタバーバラは例のマイケル・ジャクソンが住んでいるネバーランドがある丘陵地帯である。 カリフォルニアワインはナパバレーが有名だが、50年ほど前からサンタバーバラでも盛んに作られるようになって、味もそこそこである。 ロスから近かったので、帰国する前に数回ワイナリーめぐりをした。 帰国するときには6ダースほど持ち帰った。
ワイナリーは行って見るとなかなか風情のあるものである。 まあ、家庭菜園をするには広すぎる畑だし、葡萄畑として葡萄を作るには狭すぎる畑だけど、 雑草を伸び放題にしておくよりましだろうと思って、カルバネ・サービニオンを140本ほど植えることにした。 畑の広さは600坪ほどだから、帯に短し襷に長しだけど、まあ運動のついで位にと思って始めた。 当面、庭にある巨峰の枝を切って挿し木にして、ゆっくりやろうと思っていた。 そころが、女房殿に、 「あなたはもう還暦を過ぎたのでしょう、そんなにのんびりしている時間は無いのですよ」 と末期の癌患者のようなことを言われた。 帰国以来胃の調子が悪く、便秘にも悩んでいた。 ひょっとすると癌の疑いがありうるかも知れないと思い存命のうちに、一気にやってみることにした。 うまくいったら、ちょっとした処分に困る遺産になるはずである。
その後、東邦大学のお医者さんの勧めで検査してもらった。 白だそうだ。